フィレンツェ、花の大聖堂があるチェントロという地区に私は部屋をかりていた。大聖堂周辺は、常に観光客でにぎわっていたが、細い路地を入った、ヴィア ディ メッゾ37という地番のアパート周辺は喧騒も無く、割合静かな裏町の雰囲気をたたえていた。
近所にはバール、レストラン、イタリアでは珍しい、スーパーマーケットもあって生活するにはとても便利な地区だ。
この路地裏のアパートから毎日、アルノ川を渡り、研修先の学校へ通っていた。
アパートから学校までは、アルノ川に掛かる、グラッィエ橋を渡り徒歩十五分ぐらいだっただろうか。
左の写真の、右に見える尖塔は、フィレンツェでも格式の高い、サンタ クローチェ教会だ。この教会は素晴らしい。教会の内部には何と、ジョットのフレスコ画が現存している。
壁画は、以前のアルノ川の氾濫にみまわれ、損傷が激しい、ちょうど白く画面が剥離している辺りまで水位が上がったらしい。いつもは薄暗い教会内部だが、壁画の傍らにコインを入れる機械が設置されていて、1リラだったか、投入すると、こうこうとスポットライトが点灯する。フラッシュ撮影だって出来てしまう。実にイタリアらしく、おおらかで気に入ってしまった。
この教会には、ガリレオ ガリレイのお墓、ミケランジェロといったイタリアの誇り高き学者や芸術家の廟がしつらえてある。一人暮らしの中年男は、暇があればサンタ クローチェ教会に出かけ、暇をつぶしたものだった。
教会周辺には行き着けのバールも見つけ、カプチーノを飲みながら、ドルチェを頬張るというのが楽しみとなっていたようだ。
とある日、この教会の資料展示室に入って私は驚いた。何と、かつて木口木版画を印刷したと思われる、平圧プレスがひっそりと、展示室の傍らに据えられていたのだ。良く観察してみると、どうも、現在でも使われている形跡があった。そして、資料館のお土産ショップでは、明らかに、木口木版画と思われる、小さな、お札のような小版画が販売されていたのだった。木口木版画の発祥が、ヨーロッパだということを私はその時、肌で感じた。
左の写真のプレス機のある工房が、イル ビゾンデの版画工房だ。日本の版画工房と、雰囲気は良く似ていて、私にとっては、仕事のしやすい環境だった。
木口木版画の制作、研修が目的ではあったが、イタリアでは木口木版画の版木が入手できず、もっぱら、エッチングによる版画制作をおこなっていた。
この工房は、フィレンツェ アカデミアの版画工房だ。フィレンツェで知り合ったイタリア人に連れて行ってもらった。
イタリアのエッチング゜プレスのハンドルは、たいてい丸い円形の形状をしている。このハンドルをくるくる回して印刷するのだが、始めは慣れなくて使いづらかった。
フィレンツェの工房にあるプレス機は、なぜかみんな、由緒ある骨董品のように見えてきた。
骨董品で思い出したが、イタリア、というよりはヨーロッパでは、たいがい日曜日に、ピアッツアで、蚤の市、骨董市が開かれている。私の部屋の近くでも、日曜日に骨董市が開催されていて、ぶらぶらひやかして歩くのも楽しみとなっていた。
見ていると、全てのものが欲しくなってしまうのだが、帰国のときのことを考えるとなかなか購入するにはいたらない。一番欲しかったのは、古い腐りかけた大きな扉だった。扉自体に存在感があり、持ち帰りたい思いもしたが、そんなもの買っても、到底持ち帰れない。
西洋骨董好みの日本人観光客は殆どみうけられない。この場に、そんな趣味を持った日本人観光客が紛れ込んだら、おそらく買い捲るのではなかろうかなどと思いつつぶらぶらしていた。生活必需品は、骨董市とは別の地区で開かれている、バザーで購入するのが最も経済的だ。古着、アジア製の雑貨は結構安価で、生活必需品は殆どバザーで賄っていた。