イタリア フィレンツェの版画専門学校、イル ビゾンテのエントランスは、版画のプレス機の博物館の様になっている。木製ハンドルのエッチングプレス、リトグラフ用のプレス機、日本では極めて珍しい、平圧式の凸版プレス機等が陳列されている。
左のスケッチは、平版用の古風なプレス機だ。製造元をしるしたプレートには、ミラノという刻印が押されている。ミラノといえば、北イタリアの工業都市だ、このようなプレス機もかつては製造していたのであろう。
このスケッチを元に、イルビゾンテの版画工房で制作したエッチングがその下の作品だ。この作品は、私の専門の木口木版画とは版種が違うので、日本では未発表の作品となっている。
次にご覧いただきたいのが、日本では殆ど目にすることができない、凸版印刷用の平圧プレス機だ。このプレス機は、私にとって特別の意味を持っている。なぜかというと、ヨーロッパで開発された木口木版画の印刷は、殆ど全てこのタイプのプレス機で摺られていた。このプレス機が開発されたことによって、活字と木口木版画の版木を組み合わせ、一度に一枚の紙に印刷することができるようになった。当時としては、これは印刷文化の発展に画期的な広がりをもたらした大発明と言っていいかも知れない。
右の版画は、スケッチを元にしたエッチングの作品。亜鉛版を使用し腐食液は、多分硝酸だが、イタリアでは「アチド」と呼ばれていた。
イル ビゾンテでの生活は、 私にとって 懐かしさを呼び覚ますものとなっていった。 イル ビゾンテは、学生数数十人の小規模な学校で、教員、学校関係者、学生が、家族的な交流をしていた。風来坊のようにある日突然訪れた私も、いつしか皆に暖かく向かえ入れて頂くことができ、制作に熱中できるようになっていった。
その学校の暖かい雰囲気は、東海大学の卒業後に在籍した、創形美術学校の雰囲気にとても良く似ているように感じた。創形美術学校もまた少人数で、学校関係者と学生が、家族的な関係を成り立たせていたように思う。最もそれは、今から三十年以上の前の話である。が、現在でも、創形美術学校には、そのような雰囲気が残されているように思っている。
左の作品は、スケッチとエッチングを資料として帰国後制作した、木口木版画の作品だ。平圧プレスの上に乗っているのは、旧式の活版印刷機 。イル ビゾンデの版画工房の印象から、タイトルは、「地下印刷工房」とした。
ところで、この平圧プレスは、ヨーロッパの各地で見かけることになる。最も身近で見たのは、フィレンツェで、最も格式の高い教会といわれている、サンタ クローチェ教会の展示室だった。
サンタ クローチェ教会の展示室に、イル ビゾンテにあったものとほぼ同様のプレス機の存在を確認した。 サンタ クローチェ教会は、学校と私の住んでいた、ヴィア ディ メッゾのちょうど中間地点にあり、その教会の前を通り、毎日通学していたのだ。
このサンタ クローチェ教会というのはものすごい。何がすごいといったら、教会の内部の壁には、ジョットのフレスコ画が現存していて、 誰でも自由に間近で鑑賞できるのだ。フラッシュの撮影自由。油彩の模写も自由。この自由さが、イタリアのおおらかな気質を象徴しているように思われる。
壁画は、かつてのアルノ川の氾濫でかなり傷んでいるらしく、いたる所に修復の痕跡が残っている。この教会は私のお気に入りのスポットで、週に一度は訪れていた。
話を平圧プレスに戻そう。教会のプレス機は、多分今でも使われているのかも知れない。教会の土産物屋では、木口木版画と思われる印刷物が多数販売されていたからだ。ポストカード、お札といったグッズが並べられている。最も木口木版画の原版から直接摺られたものかどうかは判断できない。なぜかといえば、木口木版画から摺られたものを 、亜鉛凸版におこし、大量印刷している場合もあるからだ。ともかく、昔は、教会の牧師様の中にも絵描き、彫師、印刷工がいて、自前で印刷物の制作し、販売もしていたのではないかという思いを抱いたのだった。
サンタ クローチェー教会のファザード。教会中には、ミケランジェロ、ロッシーニ 、ガリレオ・ガリレイのお墓もある。
年に一度、教会の前の広場では、古式サッカー「カルッチョ」の大会が開催される。 見学したが、サッカーというよりも格闘技にちかく、観戦していて 、かなり興奮してしまった。
つづく