台風四号の日本列島に接近が懸念されている八月十二日、白馬岳登山を決意し出掛けた。
白馬岳には昨年夏登る予定を立てたものの、白馬岳大雪渓の崩落事故があったので取りやめた経緯があった。
初めて白馬岳に入山したのは今から四十年近く前、大学山岳部員のころのことだった。春山合宿で五月に新入部員を伴って登った。しかしながらこの時、私は白馬岳の頂上には登っていなかった。
白馬雪渓の最上部、葱平を通過したあたりだったと思う。一年生部員が滑落をした。咄嗟に私はピッケルで新入部員を止めた。その滑落以後、その新人部員は雪壁を登る気力を失ってしまった。私と彼との二人は、その場の安全な地点に退避し、ほかの部員約十数名はし白馬岳登頂を目指した。
登頂組が出発した後、私たち二人はゆっくりと白馬尻のベースキャンプに下山を始めた。そんな経緯があって私は白馬山頂には達していなかった。
そのことがどうも気がかりになっていた。いつかは白馬岳山頂の登ってみたいと考えていた。六十才近くになってやっとその思いを行動に移したというわけだ。
八方第五無料駐車場に車を止め、バスで猿倉に向かう。台風接近、曇り空だったが、登山客は結構乗車していた。
猿蔵は小雨に煙ってた。さっそく雨具を着て登り始めた。ところで山岳部時代、春山合宿終了日、白馬尻~白馬駅までキスリングを背負い駆け下ったこともあった。その頃健脚を誇っていた私が先頭を走った。あらためてバスで走ってみると、よくぞこんな距離を走ったものだと感心してしまった。現在は、膝の軟骨がすり減る老化現象が現れ、登るのも下るのも普通の人の倍近くの時間を要するようになってしまった。
白馬大雪渓に入る手前でアイゼンを付ける。四十年間使い続けた十二本歯の アイゼンで、しかも一本締めだ。今日の装備からみれば骨董品のようなものだ。しかしながら今回は、この十二本歯のアイゼンが効果的だった。夏の雪渓とはいえ、四本歯の軽アイゼンでは力が入らない。
アイゼンのおかげで雪渓の登りは快適だった。雪渓の半分ぐらい登ったあたりから落石が見受けられた。音もなし雪渓を転げ落ちる岩に恐怖を覚えた。
雪渓を抜け、るあたりから風雨が強烈になる。そのあたりで雨具を重ね着した。天候を考え雨具は二着持ってきていた。
避難小屋に到着するあたりから、登山は極めて危険な状態になってきていた。三千メートル級の高地でのブリザードを思い出した。登山道は谷川とかして、ものすごい水が流れている。崩落の危険と風の猛威に耐えやっとの思いで、白馬岳村営頂上宿舎に到着。全身ずぶぬれ。小屋の乾燥室に飛び込む。午後二時前に小屋に到着した。命拾いをした。雪渓上部から、村営宿舎までの間はまったく写真はとれなかった。
翌日は曇天ながらも稜線が望めた。白馬岳山頂を経て栂池方面へと下山を始めた。頂上直下は風がつよかったものの、下るにつれて、穏やかな稜線歩きを楽しむことができた。三国境~小蓮華山~白馬大池あたりまでの尾根歩きは楽しい。富山県側のたおやかな稜線。対照的な長野県側の切れれ落ちた岩壁、非対称山様の景観が美しい。
白馬大池が見えたあたりから、膝が痛みだす。一気にペースが落ちてきた。休み休み下山をする。足元には高山植物が咲き乱れていた。天候が良ければ、実にのどかだ。白馬大池湖畔に小さなテントでも張り、終日寝ころんで、そのあたりをぶらぶら探索するという山旅も楽しいことだろうと思った。
大池から栂池までの下りは、大きな岩の登山道を下るが、膝に負担がかかりまたまた下山のペースが落ちる。かしながらこのあたりからみる白馬三山の稜線、不帰の嶮、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ガ岳へと続く稜線を眺めていると、若かったころ、北アルプスの稜線を駆け抜けるように歩きまわっていたころのことが走馬灯のように
脳裏に浮かんでは消えていく。
栂池自然園から一気に山麓までゴンドラで下ったが、ゴンドラから眺める白馬三山も圧巻で、ぜひともスキーシーズンに訪れてみたいと思った。
昨年唐松岳に登った八方尾根が手に取るように望めた。その彼方に、どっしりとした山陽を見せている、五竜岳の雄姿も心に残った。
天候のせいで思うように取材の目的は果たせなかったものの、心に残る山旅となった。白馬岳村営頂上宿舎の存在と、従業員の方々に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。