今年の夏は、なかなか梅雨が明けなかった。八月に入ってからも、台風の影響で天候は不安定。八月とある日、西の空を眺めていたら、なんとなく好天が続きそうな予感がして、八ヶ岳に行くことを思い立った。
首都高速、中央高速を走り、諏訪南インターまでひとっ走り。諏訪南インターから美濃戸口までは快適なドライブだったが、美濃戸口から美濃戸までの林道にはまいった。悪路の一言に尽きる。FFのわがオンボロ車では心もとない。ゆっくり登りつつ、対向車との鉢合わせに恐怖を抱きながらも美濃戸に到着。山での遭難よりも、アプローチでの交通事故の方が気がかりとなっていた。この林道は、かつての愛車、四駆、軽のジムニーだったら良かったのにと思ったりもした。天気がよければ二輪駆動でもいいが、ひとたび雨でも降ったら、やっぱり四輪駆動じゃないと走れない道だと思う。
美濃戸からは北沢を登った。森林浴をしながらの登りは結構快適だ、可憐な草花も心を癒してくれる。何よりも、登山道のかたわらを流れる谷川のせせらぎが心地よい。展望は全くのぞめない。
美濃戸から、休み休み三時間ぐらい登ると、赤岳鉱泉に着く。鉱泉小屋の後方にそびえているのが「大同心」ロッククライミングのルートがある。かつては、積雪期の雪壁の登攀に憧れた時代もあったが、今となってはかなわぬ若き日の夢となってしまった。
雪山の取材で、積雪期にこのあたりまで登ってみようとも考えたが、積雪期の北沢の長い登りも結構きつそうだ。
ここまで登って、風呂に入れるというのは素晴らしい。早速ひとっ風呂浴びて疲れをいやした。
小屋は清潔で快適であった。夜半、煙草が吸いたくなったので、戸外に出ると、夜空は満天の星、こんなに多くの星を見たのは何年ぶりだろうか。かつて、ネパールでのトレッキングで、アンナプルナ内院を目指したことがあった。三千メートルぐらいの高地での野営のとき見た、星だらけの天空の記憶が蘇ってきた。
翌朝、硫黄岳にむかう。この時点で、最終的に何処まで行くか、体調を考えながらの登山となる。膝に爆弾を抱えているからだ。
森林帯を一時間ぐらい登ると、眺望が開けてくる。
赤岩ノ頭周辺からは、遠く北アルプスの山並が望めた。槍穂高連峰、後立山連峰、特に、鹿島槍は美しく見えていた。西には甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、日本のアルプスという形容詞のつく大体の山が見えていたように思う。中央、南アルプスの一部の山を除いて、大体の登ったことがある。もう三十年も前のことである。
ここから、硫黄岳までは快適な登りだ。南側に視線を移せば、八ケ岳 赤岳山群の稜線が目に飛び込んでくる。
観天望気が見事的中。雲ひとつ無い快晴。
山に登っていての、天気の予測は、天気図、天気予報を基準としながらも、地域的な予測は、観天望気が結構役に立つ。雲の動き、風の向き、山の臭い等を読んで天候を推測するだが、この知識は地元の方々に教わるしかない。私は、この地元の方から得た情報に大いに救われたものだ。またこの時期、雨やガスは何とかしのげるが、雷に襲われるのが一番の恐怖だ。
根石岳、天狗岳方面の眺望。夏沢峠に下り、しらびそ小屋経由というコースも歩いてみたいが、車で来た以上、振り出しに戻らなければいけない。このあたりが、自動車を使うことの不便なことだ。
ともあれ、硫黄岳に登り、硫黄岳山荘を目指すことにする。
たおやかな硫黄岳の山容は、眺めているだけで、心休まる。しかしながら、このあたりは、非対称山容で、硫黄岳の火口壁は、必見の価値がある。出来れば積雪期の方が迫力がある。
厳冬期の硫黄岳周辺の稜線には、どういう具合に雪庇が出来るのだろうか。ふと考えた。
硫黄岳を下り、コマクサの群生地を通り、硫黄岳山荘を過ぎたあたりから赤岳山群の稜線はその厳しい、本然の姿をあらわにする。やせた稜線は、鎖場、鉄梯子が要所要所に設けられていて、安全に歩くことが出来るが、時々、三点支持を意識しなければならない場所もあった。天気がよければ岩も乾いているし、ルートも分かりやすいが、ガスった時は慎重にルートを確認しながら進むべきだ。
台座ノ頭、奥の院、三叉峰を経て進むと、八ヶ岳の主峰、赤岳がひときわ大きく目に飛び込んでくる。
横岳の下りは、鎖場の連続だ。そこを下りきれば地蔵の頭に至る。
地蔵の頭で、赤岳に登るべきか、地蔵尾根を下るべきか、しばし考えた。
結局、地蔵尾根を下り行者小屋へと向かう決断をする。
膝の具合を考えての決断だった。最近の私の山登りは、あえてピークハントを目的にはしていない。山の版画を作るための取材が第一の目的なので、描こうとした山にはあえて登らない。描く対象とした山の周囲を歩きまわり、その山の資料を集めることが目的となっている。したがって山の版画集のタイトルは『山麓紀行』という副題をつけている。
地蔵尾根の下りは急峻だ。鉄梯子、鎖場の連続で、一気に行者小屋まで下る。
行者小屋から美濃戸までは、南沢を下った。
南沢を下り始めてしばらくは、枯れ沢が続く。後方には、赤岳が聳えていた。
南沢のくだりも長く、美濃戸にたどり着いたのは、午後三時を過ぎていたようだ。十時間以上の行程で、結構疲れたようだ。
登山靴を脱ぎ、車を動かし始めたとたん、疲れも吹き飛んだようで、対向車と出くわさないことを祈りつつ、帰路に着いた。