『ネパール紀行Ⅰ』を公開した後、カトゥマンドゥに取材した、木口木版画を制作したことを思い出しました。数点見つけることができたので公開いたします。
カトゥマンドゥを後にした私は、空路インド、ニューデリーへと向かった。ニューデリーから、アフガニスタン、バーミヤンへと行ってみる計画をたてていた。
ニューデリーでは、安宿を探すため、鉄道のニューデリー駅周辺を目指した。行ってみて、人の多さ、喧騒、立ち込めるインド特有の匂いに圧倒された。道をまっすぐ歩くことさえままならない。人の流れをかき分けるようにして、やっとの思いで安宿にたどり着いた。
一泊数百円という宿の部屋には、窓はひとつも無く、薄暗い電灯がぽつんと灯っているだけで、薄汚れたベッドひとつがおかれているだけだ。換気など全く考えないで作られた部屋なのだろう。ともかく滞在を決め、翌日から、アフガニスタンへの入国の情報を集めるべく、ツーリストインフォメーション通いはじめた。
いろいろ情報を仕入れていると、なんと、旧ソビエト連邦のアフガン侵攻のニュースが飛び込んできた。各国の、アフガンに向かう旅行者との情報交換の末、さすがにその時期、アフガンに行くのは危険きわまり無いことだという結論に達し、その計画は断念することとした。
インドを今回の旅の目的地に選んだのは、学生時代、少しばかり仏教美術を学んだことに起因していた。日本の仏像を研究していると、どうしてもその源流とも言うべきインドの仏教美術に関心が行ってしまう。専門的な研究までには到達しなくとも、一度は訪れてみたいものだと考えるようになっていた。
実際、インドに入国してみると、そこは仏教の国ではなく、ヒンドゥー教の地域だった。ヒンドゥー教は日本に暮らしていると、その実態には全く接する機会が無いので、はじめの数日は、軽いカルチャーショックのような感覚に陥ってしまうようだ。
アフガン行きを断念した後、何処を目指して旅を続けるべきか、しばらく考えてみることにした。毎日、ニューデリーの町の探索に熱中した。ニューデリーは、名前のとおり新しい町なので 、名所旧跡といった観光のスポットはあまり無いようだ。しかしながら、オールドデリーという、いわば下町とも言うべき地区は興味深かった。道路の両側に大小さまざまな出店が乱立し、生活雑貨から、食料、得たいの知れない品々が道いっぱいに広げられている。その商店の狭間に、上げパンやドーナツ、飲み物、果物を商う屋台が散在している。インドの上げ餃子、サモサやナンを頬張りながら、そんな雑踏をひやかして歩くのが日常となっていった。
あれよあれよという間に、一週間が過ぎ去っていった。そろそろニューデリーを出て行く時期に来たようだ。
私は、この旅の最終目的地をとりあえず、インド洋に浮かぶ島国スリランカに定めた。ネパールでは、トレッキングで、八千メートルのヒマラヤを目前にした。今度は、世界で最も美しいとされている、スリランカの珊瑚礁を見に行ってみようという思いがわきあがってきた。ニューデリーからインド亜大陸を南下し続け、スリランカに渡り、ヒッカドゥワというインド洋に面した海辺の小村が目的地となった。
そこにいたる途中、デカン高原に点在する仏蹟めぐりも魅惑的な旅になるに違いない。そう思うと、早速旅支度を整え次なる北インドの町、タージマハールで名高いアグラへと旅立ったのだ。