今から三十年ぐらい前のことだった。版画の制作に少しばかり希望と自信をなくし、いわば、スランプのような時期に陥ってしまったことがあった。どうにもこうにも、いたたまれなくなってしまい、結局日本脱出の計画をたてた。
とりあえず目的地をインドに定めた。当時はそれほどインドという国に興味があったというわけではなく、手持ちの資金で約一ヶ月、旅行ができるだろうという考えから選択した地域だった。どうせインドに行くなら途中、ネパールに立ち寄るのもいいだろうと思い、さしあたって、ネパールの首都カトゥマンドゥを目指した。ネパールはヒマラヤ山脈のある国だ。ちょっとだけヒマラヤを眺めることかできればとも考えたのだった。
カトゥマンドゥに到着してみると、古い街並みの醸し出すなんともいえない雰囲気にすっか私は魅了されてしまった。
おまけに泊まったロッヂがエキスプレスハウスという、日本人のヒマラヤ遠征隊が定宿として良く利用していたという宿だった。そこには、私と同世代の日本人が十人近く投宿していて毎日何をするでもなく、カトゥマンドゥの街を歩き回っていた。
当時のカトゥマンドゥは、ヒッピーの聖地のようにもなっていて、世界各国から髪をのばして、ぼろぼろの衣服を纏った若者がやってきては長期滞在を決め込んでいた。いつしかそんな連中の仲間入りをした私も、彼ら共々カトゥマンドゥの街中を日々歩き回るようになっていた。
しばらくして、そんなネパールフリークの中の一人と意気投合して、どこかにトレッキングにでも行ってみないかということになった。ヒマラヤのトレッキングの予備知識を私は持っていなかったので、全て彼の計画にまかせることとなった。
行き先は、ヒマラヤ アンナプルナ内院に決めた。アンナプルナ内院へは、カトゥマンドゥからポカラという町までバスで行き、そこから山歩きが始まる。
ジョモソン街道を歩くわけだが、この街道をどこまでも辿れば、鳥葬で有名な ムスタン王国へたどり着く。内院へは歩いて四日ぐらいかかる予定だ。歩きはじめて三日目ぐらいで、標高三千メートルを越えた。周囲の景観は次第に雪と氷と岩の世界に変貌していった。
雪山の装備を持たない私たちは、雪まみれになりながら進んだが、スニーカーで雪上歩行には限界がある。ガン゛ガプルナの胸壁を見渡す地点で引き返すことにした
天幕は持参していたので数日は幕営したが、夜半どこからとも無く響いてくる雪崩の音に、不安な一夜を過ごしたこともあった。
二週間にもおよぶヒマラヤトレッキングは、私にとってかけがえの無い体験となったようだ。トレッキングの最中目にした荘厳なヒマラヤの山並み。また毎日歩き回ったカトゥマンドゥの中世風の佇まい、全てを私の版画のモチーフにしてみたいという欲求がつのっていったのだった。
一ヶ月近くネパールに滞在していただろうか。そろそろインドへと旅立つ日が近くなってきたようだ。名残惜しい、カトゥマンドゥを後に、インド、ニューデリーへと出発したのは、トレッキングから戻って一週間後のことだった。
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