創形美術学校での、私の木口木版画の実習は、様々な原因で脱線しがちです。
今回も、昨年木口木版画実習に参加していた、辻本啓君の質問から、以外な方向に走ってしまいました。辻本君は現在、銅版画を直接ビュランで刻む、エングレーヴィングという技法で版画を制作しています。
通常、エングレーヴィングの作品は、凹版摺りを前提にしていますが、彼は、凸版摺りにも挑戦していました。
彼の質問の内容は、自作の銅版画をもっときれいに凸版摺り出来ないだろうか、ということでした。
私は、彼のその問いを受けたとき、一人の美術かの名前を思い出しました。その美術家の名前は、稲田三郎という人です。おそらく、この作家の存在を知っている人は殆どいないことでしょう。
彼は茨城県水戸市出身の美術家でした。私も水戸市出身ですが、稲田三郎の作品は良く
稲田三郎はすでに亡くなってしまっていますが、彼の作品、版画の原版が、水戸市立博物館に収蔵されています。
数年前、水戸市立博物館の依頼で、稲田三郎の版画を摺ってもらえないだろうか、という打診がありました。
ともかく版を見せてもらおうと、博物館に出かけ、版を見せてもらいました。版は亜鉛版で、
私はその版を見て、写真製版、エッチング、ドライポイント様々な技法で作られた版だとかんがえました。肝心の摺りは、どうも、凸版摺りのようでした。左の作品が稲田三郎の金属凸版の作品の部分です。これは博物館の依頼で私が、稲田三郎の原版から摺った、凸版摺りの彼の作品です。
その摺りの作業のとき従来の、銅版画用のインクでは柔らか過ぎて線がつぶれてしまいます。そこで、私がいつも木口木版画の摺りに使用している、硬いインクで彼の版を摺ってみたのでした。そうしたところ、うまくいって博物館の方にも納得していただきました。
私が木口木版画の摺りに使っている硬いインクで、辻本君の版を摺ってみようと彼に提案いたしました。
早速工房で、硬いインクで摺りに挑戦してみましたが、なかなか思うような結果は得られませんでした。しかしながら、銅版画用のやわらかいインクよりは、少しクリアに摺れたように私は思っています。銅板の繊細なエングレーヴィングの線を、凸版摺りで摺りとるのは、かなり困難なようです。ともかく、かつて金属凸版を摺った経験が、思わぬところで生かされたように感じました。
今回辻本君の質問から、稲田三郎という、同郷の作家の作品を思い出し、しまい込んでいた彼の作品を引っ張り出して鑑賞してみました。創形美術学校での木口木版画の実習は、このように、私にいろいろな展開のきっかけを提供してくれる格好の場でもあるのです。