文化庁派遣芸術家在外研修員として、様々な国で「研修を行った美術家の帰国後の成果を発表する展覧会がはじまりました。
新宿駅西口から歩いて数分。新宿の高層ビル群の中のひとつ、損保ジャパンビルの42階「東郷青児美術館」で開催されています。
この美術館には、ゴッホのひまわり、ゴーギャン、セザンヌ等、後期印象派の画家達の油彩画が常設展示されています。
美術館のある42階の入り口には、東京の街が見渡せる大きな窓があって、東京の東側の景観が眺望できるようになっています。私が訪れた時間は夕刻だったので、イルミネーションにきらめく、東京の夜景を心行くまで堪能することができました。
ところで、新宿駅で思い出すのは、学生時代のことです。小田急線を利用していたので、新宿駅は頻繁に訪れていました。今は「思い出横丁」という呼び方をしていますが、かつては「しょんべん横丁」と言われていて、中央線のガードに沿った路地裏には、定食屋や、いっぱい飲み屋がひしめきあっていました。今回この横丁を久しぶりに歩いてみましたが、往時のイメージが残されていて、とても懐かしい気分になってしまいました。焼き鳥を頬張り、ビールを飲んでまいりました。個人的に発行している『浪漫夜想』というシリーズで、是非とも取り上げたい路地裏でした。若い頃は、新宿駅西口周辺には、行き着けのジャズ喫茶が数件存在していました。『ビザール』『木馬』『ピットイン』これらのジャズ喫茶は今でもあるのでしょうか。
大学受験のときも新宿駅をおとずれています。十八の時でした。上京して、初めて食べた食事は「しょんべん横丁」の鯨かつ定食でした。これは、当時漫画少年だった私の愛読書、永島慎二の「フーテン」「漫画家残酷物語」といった漫画に、この横丁がしばしば登場し、主人公が鯨かつ定食をぱくつくシーンが心に焼き付いていたからでした。新宿といえば、私は漫画家の永島慎二を必ず思い出します。その後、学生になってから新宿は遊び場になりました。歌舞伎町の怪しげな店、ゴールデン街のバー。そうそう、新宿には大きな画材店もあって、良く歩き回っていたようにおもいます。
山登りをするようになって、中央線を利用することが多くなり、夜行で信州方面に出かけるときは、体外この横丁で晩飯をすませて列車に乗り込んでいました。
思い出の多い、新宿をテーマに選んだ版画も制作したことがあります。日本版画協会が制作いたしました『東京百景』に収録されているの私の作品は、新宿の夜景を題材にした『新宿ラビリンス』というタイトルの作品です。
損保ジャパン東郷青児美術館での『DOMANI・明日』展の入場券が少し残っています。ご一報いただければご送付いたします。 栗田政裕