今年の梅雨明けは、例年よりかなり遅かったようだ。八月に入ってもなかなか梅雨は明けない。明けたとたん、今度は台風が接近してきた。例年なら夏山シーズンの到来となるのだが、今年はどうも様子がおかしい。しかしながら、待ちに待った梅雨明け。山の装備をザックに詰め込み、中央線、新宿発白馬行き夜行列車ムーンライト81号に乗り込だ。 目的地は信濃大町、信濃大町からは、立山黒部アルペンルートを辿り、立山 室堂に行ってみようと考えていた。
むろん最終目的地は立山ではない。かつて歩き回っていた、剣岳を今回は頂上を目指さず、周囲からくまなく眺めてみよう、というのがねらいだった。もちろん版画制作のための取材のつもりだ。
久しぶりに訪れた室堂は、雲ひとつ無い快晴。絶好の取材日和であった。弥陀ヶ原を横切り、室堂乗越への登りに入った。かつてはすいすい登った山道も、今となってはかなりきつい登りだ。ガイドブックのコースタイムの二倍ぐらいの時間をかけて、やっとの思いで上りきった。室堂からは剣岳は見ることができないが、室堂乗越まで来れば、剣岳の全貌が眼前に広がる。三十年ぶりに眺める剣岳は本当に素晴らしい。
室堂乗越で昼飯を食べ、今後の予定を考える。その日のうちに真砂沢まで下るか、それともどこか近くの山小屋に泊まるか選択を迫られていた。というのも、夜行でしかも運動不足の老体に、これからの行動は、少し無理のように感じていたからだ。ともかく剣沢小屋まで下り、それから考えることにした。剣沢小屋には、午後二時すぎに到着した。そこから剣沢の長い雪渓の下りが始まるのだが、どうも疲れがたまっているらしい。剣沢小屋に泊まる決心をし、宿泊を申し込むと、どうもその日は満員で、予約なしでは泊まれそうも無い気配だった。しかしながらそこは一人旅の気軽さで、どうにかもぐりこむことができたのは幸運だった。その夜は明日に備え、午後七時頃床についた。
翌日も剣岳周辺は快晴。朝六時頃剣沢小屋を出発した。剣沢雪渓に入る地点で、アイゼンを着けていると、四人連れのパーティの中の一人と会話を交わすようになった。彼らは剣沢雪渓を下り、仙人新道を登って仙人ヒュッテを経由し阿曽原を通り欅平に向かうようだ。私が、真砂沢からまた再び剣沢を登り、室堂に戻るつもりだというと、せっかくここまで来たのだから、一緒に欅平までいきませんか、という話になった。私は、実はそのコースは、想定していた。しかしながら、私は膝に爆弾を抱えていたのだ。数年前バイクで転倒し、膝を打ってしまい、それからどうも膝の痛みが激しくなっていた。したがって、本当にマイペースで、休みたいときにたっぷり休んで、ゆっくりゆっくり歩かなければならない状態だった。
かつて、ネパールでのトレッキングおり、盛んにネパール人がビスタリ、ビスタリといっていた。ビスタリとは、どうもネパール語で゛ゆっくり゛という意味らしい。これをビスタリズムというのだが、最近の私の山歩きは、まさに、ビスタリズムに徹したものとなってきている。そんな理由で、彼らと行動を共にするとご迷惑をおかけしてしまうのではないか、と思われ、はっきりとした返事は避けていた。
結局,彼らの誘いにのった形で私もまた、阿曽原~欅平を歩く決心をその段階でしたのだった。この決断が後になって、実に素晴らしい剣岳の荘厳な景観に触れるきっかけとなった。今では、偶然であった四人連れの方々に、心から感謝しているのである。
剣沢雪渓の下りはなかなか気持ちの良いものであった。谷を渡る清涼な風は、五感に染み渡り、疲れもずいぶん軽減されるようだ。だが、膝の具合は芳しくない。下りは特にきつい。
剣沢の下りも終わりかけた頃、谷の下方に真砂沢のテント場が見え始める。真砂沢のテント場は、大学時代山岳部の合宿で一週間ばかりベースキャンプとして使ったことがある。真砂沢をベースキャンプにして、源治郎尾根、八ッ峰の登攀。三ノ窓雪渓での雪上訓練に若き日の情熱を燃やしたこともあった。そんな経験もあるので、今日の膝の問題を抱えての登山は、自分ながら情けない事態だと思わざるおえない。実は、かつて剣岳本峰から北方稜線を縦走し、白萩川を下降したこともあった。今回も池の平山から剣岳を目指すというルートも考えたが、これはさすがに断念した。
真砂沢から二股までは、剣沢の川原や雪渓、高まきを繰り返しながら進む。しばらくして、真新しいしつり橋の架かった二股にたどり着く。この道は、天候がよければ何の問題もないが、ひとたび雨でも降れば、増水に見舞われ、至極危ないルートとなるだろう。
つり橋を渡り、いよいよ仙人新道の登りが始まる。この登りは結構きつかった。しかしながら一歩一歩、高度をかせぐごとに、剣岳八ッ峰の壮大な景観が目に飛び込んできて、岩と雪渓に彩られた、心に強く残る素晴らしい景色に出会うことができた。その場にはいなかったけれど、このコースに私を誘ってくださった、四人連れのパーティーの方々に本当に感謝した。登りにうんざりした頃、ようやく仙人池ヒュッテにたどり着いた。このヒュッテは、裏剣の絶好のビューポイントとしてあまりにも有名な地点だ。山に興味の無い方でも多分、どこかでこの写真は見たことがあるのではないだろうか。
仙人池ヒュッテを後に、今日の宿泊予定地、仙人温泉へ向かった。仙人温泉へは、また長い雪渓の下りが待っていた。今年は残雪が多く、なかなか夏道と雪渓との接点が見つけにくく、ルートファインディングの技術も要求された。途中、ルートを見失い、あわやビバークかと思われたが、何とか正規のルートに戻ることができて事なきを得た。仙人温泉には、そんなこともあって、夕方六時頃の到着となった。宿に入って宿泊の希望をご主人に告げると、今日はどうも泊り客は私一人らしく、『今日はお客さんの貸切だ。」というご主人の言葉が返ってきた。そんなわけで、雲表の秘境、仙人温泉にはたっぷり二~三回つかることができた。
この仙人温泉は実に感動的な宿だ。是非ともいろいろな方に訪れて欲しいし、私も再び訪れてみたいと考えている。この温泉につかるためにはそれ相応の覚悟が必要だということも付け加えておく。
この温泉は、この場所だけで一冊の版画集を制作してみたくなるぐらい魅力のある場所だ。ご主人の高橋さんの話も興味がそそられる。体力、気力、財力が許せば、一週間ぐらい滞在決め込んでもよさそうな所だ。
私にとって、絶好の隠れ家となりそうだ。その夜は、台風の相変わらずの接近に気をもみながらもたった一人、山小屋夜を過ごした。
つづく
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