心配していた台風の影響もどうやらなさそうだ。仙人温泉での朝は、その日の好天を約束するかのように澄み渡っていた。
ところで仙人温泉に泊まってみて、私はひとつの疑問を持った。というのは、仙人温泉の源泉は、仙人温泉ある尾根と谷を挟んだその反対側の尾根にある。つまりその源泉から温泉をこちら側の尾根までパイプで引いているのだが、いったいどうやって深い谷を渡るパイプが引けたのだろうかという疑問だ。その疑問を、高橋さんに尋ねたところ、高橋さんはもともと埼玉で配管の仕事をしていらっしゃったらしい。その技術を生かし、たった一人で、宿の反対側の尾根にある源泉からパイプを敷設し、温泉を引いたというではないか。素人目に見れば、これは大工事で、言葉で説明されても、ほとんど理解できなかった。
宿主の高橋さんの奮闘は、登山道の整備にも注がれている。これは歩いてみて初めて分かることだが、登山道のいたるところにフィックスロープ、目印がつけられている。そのおかげで、私たちは素晴らしい山旅が安全にできるのだろう。
名残惜しい仙人温泉を後に、阿曽原温泉小屋へと下り始めた。小屋を出発するとき、高橋さんから、細かくルートの説明を受けていたので、仙人谷の長い雪渓も無事下ることができた。夏道に出て、阿曽原峠までの下りは暑くてたまらなかった。しかしながら、沢筋の道は所々に小さな谷川があり、冷たい水が十分補給できたことは嬉しかった。阿曽原峠を過ぎたあたりから、ますます暑さは厳しくなる。それもそのはずだ。標高が、かなり低くなっているのだ。 目指す阿曽原温泉小屋は、ここまで来ればもう目と鼻の先。
阿曽原温泉小屋は、かつて訪れたことのある山小屋だ。その時は、黒部 下ノ廊下を下った際で、その時の事は『山想譜』No.3に綴っている。汗だくになり阿曽原温泉小屋に到着したのは、午後一時近い時刻だったようだ。
小屋の奥さんの薦めもあり、私もそこから欅平にまで、歩く気力も時間も体力も心配だったので、ご厄介になることにした。何しろ、阿曽原温泉小屋からは長い長い水平歩道の歩行が控えているのだ。
ところで、吉村昭の小説「高熱隧道」をお読みになった方も多いと思うが、この周辺を歩く方には、この小説の一読を是非お薦めしたい。ガイドブックを読むよりも、はるかにこのルートの真髄を理解できるのではないだろうか。また『高熱隧道」の歴史を知った上で、水平歩道や、仙人ダム周辺を歩けば、感慨もひとしお大きなものとなるだろう。
高熱隧道とは、トンネルの事だが、黒部川電力開発のため、欅平~仙人ダムまでトロッコの走る軌道トンネルが穿たれているのだ。このトロッコ電車は、かつて下ノ廊下を下降したとき、仙人ダムあたりで見た事があるように記憶しているが、その時は、かなりばてていたので、これは正確かどうかは疑問だ。そのトロッコにしがみついてでも乗せてもらいたかった。その時は、それぐらいくたびれていた。
その隧道工事の際、温泉湧出地帯ぶちあたり、トンネルの掘削は困難を極めたようだ。いわゆる高熱岩盤の出現だ。小説「高熱隧道」は、工事関係者と高熱岩盤との過酷な戦いの記録を冷静に綴りながらも、工事に携わった人々の人間的な葛藤、黒部の自然の驚異までをも克明に活写した名著だと私は思っている。工事現場での、悲惨な事故の描写は、目をつぶると、その映像がまざまざと浮かびあがってくるほどだ。そんなにしてまで、その隧道を完成させる必要があったのだろうか、と考えてしまう。その「高熱隧道」の舞台として、阿曽原温泉小屋周辺が登場している。
前回、阿曽原温泉小屋に泊まったときは気がつかなかったのだが、阿曽原温泉小屋の真下、ちょうど土台になっている部分には、コンクリートの建造物が存在している。天井はアーチ状になっていて、どう見ても古い倉庫か部屋のように思える。
阿曽原温泉小屋 上の部分が、宿泊スペース。
この古びたコンクリートの狭い空間を眺めていたら、工事関係者の生と死をかけたドラマが脳裏に浮かび、私はいつしか,敬謙な気持ちになったのだ。
たまたま出てきた、阿曽原温泉小屋のご主人にその事についてお尋ねしたところ、隧道工事の建物であったようだ。
ところで、下ノ廊下を題材にした『山想譜』を山岳雑誌「岳人」のかわら判のページに投稿したところ、幸運にも掲載された。驚いた事に、阿曽原温泉小屋のご主人は、その記事を読んでいてくれて、「あれを書いた人ですか。」と嬉しいお言葉をかけてくださった。落ち着いたら、版画をお送りしてみようと考えている。
そうこうしているうちに、昨日以来お会いしていなかった、四人連れのパーティーの方々も阿曽原温泉小屋に到着した。その夜は、温泉小屋の、とても山小屋とは思えないような美味しい晩御飯に舌鼓を打ち、おまけに焼酎までいただいて、健やかに眠る事ができた。
翌朝、私は足の事を考え、朝四時頃から歩き始めた。少し薄暗い水平歩道を歩いたのだが、歩道の要所要所に、道を手入れしている方々のものと思われる、鎌、スコップ、針金、一輪車等が置かれていた。水平歩道は絶壁に穿たれた道だ。毎年の手入れ、修復は欠かす事のできない作業だろう。どこか一箇所だけでも崩壊したら、行き来は不可能になる。細かな手入れをしてくれている人々がいてくれてこそ、我々のような者でも、この素晴らしい景観に囲まれた道を辿ることができるのだ。
阿曽原温泉小屋の近くにある坑道入り口。この奥に、高熱岩盤が存在しているのだろうか。
高熱隧道の話もすごいが、一番最初にこの断崖絶壁に道をつけた人がいるわけで、その作業の様子を想像しながら水平歩道を辿れたことは幸運だった。前回の歩行では、緊張感いっぱいで、そのような事を考える余裕は全くなかった。
いつの間にか、欅平の駅のアナウンスが聞こえてくるようになった。駅までは、ここからがまた長いのだ。案の定、蜆坂の下りでは膝が痛み出し、欅平の駅にやっとのおもいで下った。それでも午後二時ごろ到着したように記憶している。
今回の取材山行は、多くの方々に励まされたり、お世話になって、とても素敵な資料をたくさん揃えることができました。できるだけ早く、版画にして、ご覧いただきたく思っています。剣沢小屋、仙人ヒュッテ、仙人温泉、阿曽原温泉小屋、それぞれのオーナーの方々には、心から感謝申し上げます。また、このコースに私を誘って下さった、四人連れの名も知らぬ方々、ありがとうございました。また、どこかでお会いできる事を楽しみにいたしております。
終り
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